花シリーズ 番外編
真冬の温もり
※高遠家(表札は松浦)にやって来たちび大志が、晴と初めて寝るお話


 足が冷たくて、よく眠れない。
 大志は一時間ほどまどろんだ後、ベッドの中で目を覚ました。
 ぼんやりと開けた目に見慣れぬ内装の部屋が映り、一瞬自分がどこに居るのか分からず息を詰めたが、そうだ、ここは新しい家の自分の部屋だと思い出し、ゆっくりと深呼吸する。
「お前に食べさせるケーキや餅の余分は無い」
 と、前にいた家の主が不機嫌に言ったのが、十二月中旬。それ以上刺激しないよう息を潜め、身を縮めて生活していたところに、突然父親だと名乗る自分によく似た人が現れ、彼に連れてこられたこの家で、クリスマスと新年を迎えたのだ。
 今回引き取られた家には二階に大志専用の部屋があり、机も本棚もクローゼットの中の衣服も、誰かのお古ではない、全て新品が用意されていて、羽根の沢山詰まった布団が掛かっているベッドはふかふかだ。
 このベッドに横になった最初の日から、これまでの暮らしとのあまりの違いに、眠ってもいないのに夢をみているようで落ち着かず、大志の睡眠はずっと浅い。
 昨夜も風呂で充分温まり、早々に布団に潜り込んだはずなのに、一時間も経つと手足は冷えて、完全に目が覚めてしまった。
 それでも物心つく前から親戚の家をたらい回しにされ、常に邪魔者扱いされてきた大志にとって、何か足りない物はないか、不満はないかと気遣ってくれる人達に、眠れないと訴えることなど問題外だ。
「これ以上望んだら、バチが当たる」
 目の前に差し出されたものをなんの疑いもせずに受け取れば、取り上げられた時に辛い思いをするのは自分だ。
 このふかふかの布団にだって、いつまで寝ていられるか知れたものではないのに。
 手放さなければならなくなる前に、高級な布団の感触を存分に味わっておこうと、大志が寝返りを打った時だった。
 コンコンコンと、部屋のドアを叩く音がする。
 ギクリとし、大志は動きを止めた。
 ここには以前のように、理由も無く大志を殴る人間はいない。
 そう分かっていても、自分に向けられる他人の一挙一動が恐ろしい。
 このまま息を潜めていれば、諦めて通り過ぎて行ってくれるのではないか。そんな期待も虚しく、真冬の冷たい静けさの中、再びコンコンコンと、ドアが鳴る。
「は、はい」
 大志は観念してベッドの中で起き上がり、ドアに向かって返事をした。
 歯の根が上手く噛み合わず、誰だとまで問うことができなかったのは、室温の低さのせいばかりではないのだった。
 大志が返事をすると、遠慮がちにドアが開いた。
「タイシ、起きてる?」
 伺うように言った声は小さいが良く通り、暗闇の中でもそれが、この家の長男のものであると分かる。
 先日、彼がお前の義兄さんになるのだと紹介されたので、この家の次男は自分になるわけだが、生まれてこのかた家族と暮らしたことがない大志には、なかなか実感がわかない現実だ。
 けれど父親の再婚相手を義母さん、彼女の息子を義兄さんと呼ぶことに抵抗はない。
「義兄さん」
 と呼べば、くすぐったそうに大志を見返す微笑みに、これなら要らぬ摩擦を生まなくて済みそうだと踏んだのだ。
 他人の家に長く居させてもらえる一番の秘訣は、その家の子供に気に入られること。いろんな家を渡り歩いた経験から得た、十一才なりの処世術だった。
「義兄さん、どうかしましたか?」
 だからこの晩も大志は、開いたドアから吹き込んでくる冷たい風に嫌な顔ひとつせず、義兄に丁寧に尋ねたのだが、
「あの…… お前と一緒に寝てもいい?」
 と囁かれ、ぶるりと身を震わせた。
 今までにもこうやって大志を引き取った家の人間が、夜中に布団に潜り込んでくることがあった。
 彼らは決まって、大志の細く薄っぺらな身体を好き勝手にまさぐり、自分の欲を吐き出すと、明け方にはそそくさと布団から出ていく。
 胸の小さな突起にがさがさした手のひらが引っ掛かっても、耳に臭い息が吹きかかっても、下半身に固い異物が入ってきて動き回っても、行為の最中だけ我慢していればいいという点では、煙草を押しつけられてできた火傷が、いつまで経っても治らないよりはましだ。それに、身体を繋げた後の彼らは大志に少しだけ優しくなって、誰も見ていない所でお菓子をくれたりもした。
 義兄が甘いものは苦手だと言って、クリスマスケーキが乗った自分の皿を大志に差し出したり、お腹がいっぱいだからと、雑煮の餅を大志の椀に多く入れてくれたのは、つまり、そういうことだったのだ。
 十五才の子供とはいっても、一緒に風呂に入った際に垣間見た義兄の裸体は、四つ年下の大志からすれば、充分大人のものだ。
 こんなに綺麗な人でもああいう気持ちの悪いことがしたいのかと、手足だけではなく、胸の奥の方が冷えていくのを感じる。しかし、義兄の優しさのわけを知った大志は覚悟を決めた。彼の機嫌を損ねてこの家を追い出されたら、もう他に行く場所が無い。
「わ、タイシ。お前すごく冷たいぞ」
 嬉々としてベッドに潜り込んできた義兄は、大志の身体の冷たさに触れ、驚いて言った。
「起こしてごめんね。寒かったよな」
 そしてすぐにあったかくなるからねと、大志の身体に手をかける。
 来た、と大志は顔をひきつらせた。
 セックスという言葉すら知らない幼い身体は、これからされることを思うと、嫌悪感で拒絶反応を示す。
 義兄に抱きしめられながら、大志はきつく目を閉じ、身体の震えを必死に堪えた。
「じゃあ、タイシ。おやすみ」
 いつもと様子が違うことに気づいたのは、大志の額に軽く触れた義兄の唇が、それ以上、下に降りてこなかったからだ。
「……義兄さん?」
 静かになった義兄に恐る恐る呼びかけてみるが、返事はない。
 しかも、一回り身体の大きな義兄に抱き枕のようにしっかり抱えられていて、目を開けても見えるのは義兄の胸元ばかり。それでも規則正しく上下する鎖骨が、義兄が寝入ったことを教えてくれる。
「寝るって…… 本当に寝るだけ、なんだ」
 自分の勘違いに顔を赤らめると同時に拍子抜けしてしまい、凝り固まっていた全身が一気に弛む。全身の力が抜けると、さっきまであんなに冷たかった爪先と指先が、ぽかぽかと温かくなっていることに気づいた。
 現金なもので、身体が温まると心まで火が灯ったように温かく、平和で穏やかな気持ちになる。
「おやすみなさい、義兄さん」
 この人は、今まで会った誰とも違う。
 大志は安心して義兄の胸に身を委ねた。
 大志の眠りを妨げるものは、もう他に何もなかった。



2015.01.18
改訂2015.09.25



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あきゅろす。
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